これからの社会を生きるエンジニアへ【ソフト屋とハード屋、どっちが得だと思う?】

最終更新日

woman wearing hooded pullover hoodie facing tablet computer

ちなみに私はハード屋だ。

ハード屋の視点、ソフト屋それぞれの視点

仲間内であったり、友人同士であったり、たまに議論というかグチの応酬のようなことになる。
表面的には
「やっぱソフト屋の方が得だよねぇ〜」
「いやいやハード屋でしょ、得してるのは」
そんなやりとりだが、裏は
「ハード屋は損してる。だって最近の中途採用の公募職種見てみろよ。ソフトばっかだぞ」

とか
「ソフト屋は損してる。だって次々出てくる新しい言語やアルゴリズムを延々習得し続けないといけないんだぜ」

とかいうようなグチが見え隠れする。

まぁどっちの言い分も一聴の価値ありのようにおれには思えるんだよね。(他人事ではないし)
ちょっと整理してみたい。

ソフト屋、ハード屋の定義について

ちなみに「ソフト屋」「ハード屋」というのは
「ソフトウェアエンジニア」「ハードウェアエンジニア」のことで、

普通に解釈すると

ソフト屋=プログラム作ってるひと
ハード屋=ハードウェア(何かしら物質)を作ってるひと


という意味だが、これだとあまりに範囲が広過ぎるので
いらん誤解を与えないように両者を定義しておこう。

とはいえ所詮私の経験領域でしかリアルなことは語れないので

ソフト屋

組み込み製品(家電とか工業製品)のファームウェアを書いてるひと
スマホとかのアプリを書いているひと
Web上で動くアプリケーションとか書いているひと

ハード屋

・組み込み製品のメカ外装もしくはロボティクスを設計しているひと
・組み込み製品の電気回路やその上で使われてる電気部品を設計しているひと

という感じで独善的に定義させてもらう。
当然もっといろんな領域のハード屋、ソフト屋がいるが今回の話ではその人たちはお休みで。

まずひとつ両者の根本的な差について述べよう。
それは

ルールを決めたのは誰だ?

ということだ。

ハードのルール

ハード屋のお仕事というのは基本的には全て自然界の物理法則の上に成り立っている。

物質の組成、電気の性質、磁気の性質、重量、材質、力学、etc.

全て自然科学の研究の産物をいかにアレンジしてベンリなものを作っていくか、というスタンスがベースにある。
疑問にぶち当たった時は基礎である物理学に立ち戻ることが多いし、新しいアイディアも過去の、それこそ数百年前に切り開かれた理論からひっぱって産み出されることもままある。

いくら頭を捻ってみても電流が電圧の高い方から低い方へ流れるのは止められないし、
いくら屁理屈をこねてみたところで大型の機械無しで分厚い鉄板を曲げることは無理だろう。

すべてルールを決めているのは自然なのだ。 

ソフトのルール

反してソフト屋のお仕事は基本的に誰かが決めたルールを上手く使いこなすことが要求される。
なぜならソフトウェア自体が人間が作り出したものだからだ。

当然ソフトの基礎の基礎をひっくり返していくとそこにあるのは数学だ。
しかし例えばC言語でヘッダファイルを”include”するときに”<>”で読み出すとライブラリからで””だとカレントディレクトリからだとかなんてなんの理屈も無いし、”i = 0″はまだわかるんだけど“i++”ってなんだよ?とか疑問は絶えない。

ただ単にそう決まってるからそう使うだけだ。

つまりソフト屋を続ける以上は今後も「誰かがこう決めたからこう使う」「次はこう決まったからこうにする」という行為を繰り返さなければならない。
しかし往々にしてそれは『よりベンリになる行為』だから受け入れざるを得ない。
例えば、過去の言語ではとある機能を実現するために分散的にトータル1000行くらい書かなければならなかった複雑な機能が、新しい言語ではたった1行書くだけで実現できる。
簡単に言うとそういうカンジだ。

上記の差について抽象的な表現で整理する

ちょっとセンチメンタル(笑)になるかもしれない。

ハード屋は揺らぐことのない絶対無二の論理の上で仕事をしている

ソフト屋は自分たちの発想次第で自由に未来を作り出すことができる

ハード屋は自然の掟からは逃げられない

ソフト屋は所詮誰かに振り回され続ける存在

さーて、どうでしょう?

思想的な部分については五分五分、まぁ好みの差と言っても差し支えないだろうかねぇ。

メリット・デメリットを掘り下げる

次はもっとどす黒い部分に突っ込んでみよう。
表題のとおりのどっちが得か?についてだ。

いくつかの下世話な視点において。
ズバリ、
・技能習得
・需要と供給
・世界の産業のパラダイム

これらをテーマに触れていこう。

技能習得の視点

独善的に言うと、ハード屋の成熟は遅い。ソフト屋は早い。

前述のとおりにハード屋は基礎技術からの積み重ねがなければならない。
かなり偏った特殊な業務、
例えば「電気基板上の配線の設計」が仕事だったとしても、配線というのは『ただ繋げば良い』というものではない。
製品においてトラブルが起こらないように配線を行うには
電波、放電、導体間の容量、配線幅とインピーダンスの関係、などなど多くの知識が必須だ。
おそらく3年から5年は誰か知識も経験も豊富なひとの下で修行しない限り、到底まともなエンジニアにはなれない。

しかしソフト屋として一部の機能を担当させられた新人、
例えばアプリのUI部分、ウィンドウの表示だったりディスプレイの遷移なんかを担当したとしよう。
C++など何かしらオブジェクト指向のプログラムをボチボチやったことのある人間なら
おそらく1, 2ヶ月も経てば十分使いものになるはずだ。

ここまでの差が出る理由がどこにあるのか?
キーワードは

モジュール化

だと言える。

ソフトウェアの領域においては歴史上モジュール化の作業が極めて積極的に進められてきた。
きちんとソフトの用語で言えば『ライブラリ』だ。

むしろモジュール化の歴史がソフトウェアの歴史だとも言える。

マシン語という言葉を聞いたことがあるだろうか。

その名のとおりマシン(機械、コンピュータ)そのものが動作するために使っている言語の総称で
一個一個のシーケンス、一個一個のポートや内部状態の動きなどをいちいち記載したものだ。
ここでは厳密な意味としてではなく、あくまでハードウェアドライバレベルのことを言っていると理解して欲しい。
(言語的表記ではなくバイナリ化しちゃってるけど、まぁそれは細かいことを言わず)

さて、すべてのソフトウェアは最終的にはマシン語まで還元されて動いている。

例えば

PC上であるWebアプリケーションが「ブラウザ上に◯を表示する」という動作をしたとする。
当然何かしらWeb用の言語で書かれているのだろう。FlashかもしれないしPHPかもしれない。
しかしそのコマンドはOSで解釈され映像表示用のICへと命令が送られる。
その映像用のICではその命令を解釈してディスプレイをコントロールし色を出し、そして『◯』が表示される。
この過程。途中からほとんどマシン語に近い。

だけど、

Webアプリ設計者の果たして何割がマシン語を理解しているだろうか?
その割合は1%を越えないと断言しても差し支えない。
(なかにはほんとーにソフトウェアオタクなやつがいるからね。でも明らかに少数)

そして、ポイントは「マシン語を理解していないWebアプリの設計者が優秀ではないか?」
と聞かれたら、全力で答えたい。
「いやいや、それとこれとは別話でしょ」

逆にさっきの話に戻ろう。

EMCの理屈も表皮効果もろくに理解していない基板設計者がいたとする。
私は思うだろう「このひとには設計して欲しくないな」とね。

ここには明らかに大きな隔たりがある。
それはモジュール化の恩恵だ。

ソフトウェアの領域では様々な知識やノウハウがラッピングされライブラリ化され
「それ、もうキミたちは気にしなくてもいいからねー」
と過去の賢人たちが笑顔で送り出してくれている。

モジュール化の別の言い方は『抽象化』だ。

抽象的にしてしまって、具体的な詳細はわかんなくても、、、まぁいいや!ということだ。

ハードウェアにおける抽象化

ハードウェアにおいても同じような事例は過去には
PC=パーソナルコンピューター
の領域であった。

自作PCってやったことあるだろうか?

あれって実はそんなに難しいことはない。パーツ買ってきて組み上げるだけだからね。
でもなんでそんなに簡単かというとそれはそれぞれの機能がしっかり「モジュール化」されているからだ。

まずマザーボードを買う。
そうすると対応してるCPUの範囲とかメモリの規格とかがあるからそれに応じたものを買う。
ハードディスクとか電源ユニットもそうだ。

さて、というか、ここまでやっただけでもうほとんど動く。
それぞれの機能がバラバラに成立してるから買ってきて適切なコネクタに挿すだけで動く。

さらにもし欲しかったらBlueRayのドライブとかサウンドカードとかUSBの拡張とかのボードを買ってきて、これまた適切なコネクタに挿すだけだ。

ちょっとした知識は必要だけど、CPUがどういう風に動くのか?コネクタの意味は?メモリとの信号のやりとりは?マザーボードに載ってるこの部品って何なの?とかそんな突っ込んだ知識は全く必要なくちゃんと動かすことができる。

見事なモジュール化の例だ。

そしてその恩恵は90年代の爆発的なコンピューター、インターネットの進化を支えた。

つまり、モジュール化により個々人レベルにおける技術的ハードルが下がることで産業としての生産性が上がるわけだ。
ソフトウェア業界はまさにその状態にある。

ではなぜハードウェア業界ではモジュール化が進んでいないのか?

というと語弊がある。

ハードウェアの領域でも数々のモジュール化の履歴はある。

例えばネジ、バネ、IC。
先ほどのPCでの話に出たようなファンクションボード。

それぞれあるハードウェア的な機能を実現するために作られた立派なモジュールだ。

しかしハードウェアの場合には大きな問題点が2点ある。

そのひとつが最適化だ。

ハードウェアにおいては最適化が常に重要である。
明確にソフトウェアよりもシビアであると言って差し支えない。

例えばよくあるのがどこかで『実績あり』の基板をそのまま使うことにしたとする。
このとき、部品や基板のサイズ、コストその他において非常に無駄が多くなってしまう。

これはほぼ例外がない。

ではソフトの場合は、というと同じようなことが『コードサイズ』『処理量』『処理速度』なんかで言われるだろう。
「最適化が必要だ」と。
しかしハードウェアほどのシビアさは伴わない。

なぜならソフトを動かす土台、ハードウェアのスペックが日進月歩上がり続けているからだ。
高性能なICの価格もどんどん下がっているし、一昔前にはDSPが2つも3つも必要だった処理がSoCの中におまけで付いてるちょびっとしたDSPで処理できたりする。
つまり、ハードの支えによってソフトはあまり最適化を意識しなくても良い傾向にあるのだ。

当然コードサイズにシビアな立場に立たされているソフト屋の方はいるだろう。しかし明らかな少数派だ。

したがって、ソフトは多少の無駄や重複には目をつぶってガンガンライブラリ化してしまって
ドンドン次の発想を飛ばすことに脳みそを割けば良いのだ。

ハードのモジュール化は実は容易ではない

もうひとつの問題点はハードウェアの世界において『モジュール』というものはそれらを単純に組み合わせるだけではほとんどの場合で上手く動かない
ことだ。

例えばメカには『公差』というものがある。誤差のバラツキのことだ。
それをうまくコントロールできていない設計だと
「4つ角のうち3つのネジはしまるんだけど、最後の1個がどうやっても締まらない」
とかいうお粗末なモノが出来上がる。

これは冗談ではない。

他にも例えばICなら、あるICをきちんと動かすためには、電源電圧、消費電力、アクセススピード、その他に諸々のパラメータに気をつける必要がある。
それらをきちんと守っていないと、ある条件で全く動かなくなったり、予期せぬ動作をしたりして問題の元になる。

よくPCのメモリについて『相性』がうんぬんと言われる。
これは要するに両者が完全にその必要な特性をカバーしきっているかどうかが実は不透明で、たまに動かなかったりすることをこういう曖昧な表現で片付けていたのだ。

つまりハードウェアには付帯条件が多過ぎるのだ。

そしてそれらの解釈と攻略法を身につける過程がまさにハード屋にとっての『技能習得』だったりする。
しかしそれって一朝一夕にして成るものではない。

つまり冒頭に述べた通り、ハードは技能習得のハードルが高く、逆にソフトは誰でも入ってきやすい。

ほぼこう断言してしまって良いだろう。

この流れで次のテーマ

エンジニアの需要と供給

について話そう。

さて、周りを見渡してこんな疑問を投げかけてみよう。

社会人として『ソフト屋』を名乗っているひとの中で、
一体どれだけのひとが『情報工学』の出身だろうか?
実際、もはや無秩序と言っても良いくらい様々なキャリアのひとがソフトウェアに流れ着いている。

それは明らかな需要ゆえだ。

社会的にソフトウェアサービスに価値が見出され、顧客がお金を落とすようになっている以上、それは当然のことだ。

ネトゲに十数万かけるひとがいる一方、数十万円の高級オーディオに価値を見出すひとが減っているのだ。それはそれで世の流れというのだろう。

従ってソフト屋には需要がある。
しかし問題は『供給も充実している』ということだ。
なぜなら前述のとおりソフトはその入り口は非常に入りやすいからだ。

初期のハードルが低い故に

今どき半田こてのセットを揃えて自作始めようと思う人は少ないが、iPhoneアプリをちょっと作ってみようかと思う人は多いだろう。現に全くの素人からでも一ヶ月あればけっこーまともなアプリが作れる。
これはこれで大したモノだ。

しかし、その程度で入ってこれてしまうのだ。
その程度で自分の地位を脅かすライバルが誕生するのだ。

前述の「どれだけのひとが情報工学出身だろうか?」にひっかけて
「果たして情報工学出身者のみがソフトで優秀な人材だろうか?」
という疑問を投げてみよう。
賛否両論あるかもしれないが、私は全力でNOと言いたい。

むしろ、ソフトは野で趣味としてコツコツとソースコード書いてたやつらの方が
優秀な大学の優秀な情報工学系の学部を優秀な成績で出て理論は学んだけど
「いや、僕ソースはあんま書かないんで」とか言ってるやつよりきっと100倍使える。

ソフトはパソコンひとつあれば挑戦できるし、ネットさえあれば教科書はいらない。

ソフトの業界は、常に切磋琢磨、常に勉強していなければ、『いつ』『誰に』寝首をかかれるかわからないのだ。

逆にハードの話。

私は10年くらい前に当時50歳近かったおっちゃんから
高周波をマスターしとけば食ってけるぞ」と言われたことがある。
いわゆる潰しがきく、というやつだ。

確かに現在はスマホ全盛期。
アップルiPhoneシリーズを作る際に高周波のエンジニアを数十人規模で採用したと言うし、高周波の知識というのは経験上かなり特殊で扱いが難しい。

コレはこれでけっこー合ってるのかなぁ、と思う。

対して、
ソフトはもはや『潰しのきく仕事』ではない。
現在が需要過多だからそう見えているだけで、徐々に淘汰が始まると思って間違いない。

現にこんな話がある。

スマホの台頭にガラケーは敗れた。
もう、これは仕方のない話だ。

潰れたり、業務縮小(=リストラ)した会社のことも耳にする。

そこに所属していたエンジニア。
できればベテランエンジニアを想像してみよう。ガラケー一筋20年とかの。

さてこの時、
ハード屋とソフト屋、生き残れるのはどっちでしょう?
これは非常に残酷な問いだ。そして答えはわかりきっている。

生き残るのはハード屋だ。

((注)) 当たり前過ぎてあまり言いたくないのだが、これは当然個人の資質による。従ってここで語ってるのはあくまで一般論だと理解して欲しい。

ガラケーとスマホの違いは思ったより大きい。

設計思想そのものが違い、使っている部品もかなりの部分で違う。
想定している通信量もスマホ内部での情報処理量も違う。

この大きな空隙を渡りきり、うまーくスマホ開発部隊に滑り込むのはなかなか難しいものだ

しかし、ここで前述の「誰がルールを決めた?」が利いてくる。

ハードの領域はいくら設計思想や使う部品、材質が違ったところで根っこにある理屈=自然科学は同じだ。
新しい分野でのノウハウを吸収し、他のエンジニアに追いつくのには努力が必要だが、実際そう時間はかからない。

一方ソフト。
使う言語が変わる、プラットフォームが変わる、OSが変わる、
それは絶対的なルールの変更を意味する。
そしてその手の事態に振り回され『ほぼ無効化』されてしまった悲惨なソフトウェアエンジニアを何度も見たことがある。
『腕に覚えあり』のツワモノが”Hello World” からのスタートだ。

とはいえ大抵は様々な言語もプラットフォームもOSもお互いの互換性を持っていたり、なんとなく似てたり、一部は共通のものから引っ張ってきていたりする。
とはいえ、それって『ゼロスタート』が『1、2スタート』になった程度の話だ。

このような大規模な移行の際に、ソフト屋が新たに覚えなければならないことはあまりに多い。

そしてソフトについてはこのような大規模なシフトが発生した際に浮き彫りに鳴る非常に深刻な問題がある。

それは若者の方が強いという事実だ。

ガラケーエンジニアサバイバルシミュレーション

仮にこんな状況を考えてみよう。
ガラケー20年のキャリアを持つベテランシニアエンジニア。
入社してその部署に配属されて3年過ごしジュニアエンジニアから脱皮しようとしているところの若者。
ハイ、スマホの部署に移されました。

どう?

かたや20代半ばの育ち盛り。ケータイは当然最新のスマホだし余暇ではスマホのアプリを作ってこっそり売っている。
かたや40代後半でそろそろ疲れ目も肩も年々ひどくなるカンジ。
ベテラン、生き残れるだろうか?
非常に厳しい状況と言わざるを得ない。
努力、個人の資質、意識の高さ、様々な要因が作用するだろう、

しかし、もう一度言うが、非常に厳しい状況と言わざるを得ない。
(私もおっさんに片足突っ込んでる立場としてはそんな状況のひとにはぜひ頑張ってもらいたいのだが。。)

しかし、こんなことはソフト屋にとっては日常茶飯事。
冷たい言い方では「それを乗り越えれないひとは消えて行く」んだろう。 

さて、キーワードに戻すと、ソフトは昨今、需要が非常にあるが、一方、供給も流動的な層の厚さを持っている。新しい人材がポンポン出てくる。
ソフトウェアサービス盛況のこの流れはしばらく止まるとは思えないし、需要は常にキープされるどころかまだ増え続けるのかもしれない。
しかし既出のとおり、問題はその需要自体の内訳が頻繁に変化し続けていることだ。需要の絶対数はあるが、常に厳しい状況に置かれることを覚悟しなければならない、それがソフト屋に必要な覚悟だ。

対するハードは、供給について若者のハードウェア離れが進んでいるという問題を抱えているが、それ以上に社会的需要の面で危機的状況にある。

この流れを汲んで最後のテーマに行こう。

世界の産業のパラダイム

についてだ。

昔、日本はものづくりの国だった
と言わなければならない昨今、日本では今後恐らくかなりの数のハード屋がダブつく。
そう予想する根拠は非常に単純で、ハードウェアに関連する会社や事業など規模は問わず一様にみな縮小傾向にあるからだ。

その背景はまぁ色々あるからまた別の機会に整理したいが、この流れは容易に止めることはできない。

そう簡単ではない。

ハードウェアには金が集まらなくなっているのだ。

これはスマホやノートPCなど機能統合的デバイスの進化により個人で所有するハードウェアの絶対数が減少していることによるかもしれないし、単純に不景気続きの社会で育った若年層の物欲が低下していることによるのかもしれない。

そこは専門ではないので深く語ることをやめておこう。経済評論家に任せる。

とにかくハード屋は必要なくなりつつある。これは動かし難い事実なのだ。

冒頭でもチラッと書いたが例えばハード屋の中途採用は冷え込んでいる。
それは直接的にはメーカーの懐が冷え込んでいるからだ。

そして仮にあったとしても給与の良い求人は少ない。
それは社会的地位を間接的に意味していると言えなくもない。

ハード屋は時代遅れだと若者は言うだろう。

彼らにとって、インターネットが100Mbpsで繋がることも、携帯が地下鉄の中でも圏外にならないことも、ノートPCのバッテリーが5時間も6時間も保つことも、
はもはや全て何の疑問もない当たり前のことなのだ。

枯れた技術という言葉で言ってしまっても良いかもしれない。

過去に日本は独自で積み上げた技術の結晶で『技術大国』を名乗っても恥ずかしくない状態にあった。
しかし現在ものづくりの中心は中国というひとも多い。ちょっと前は台湾だっただろうか。

歴史的に日本やアメリカが築いてきた技術は、台湾や中国で代行生産をさせ、インドでソフトを書かせ、そうやって技術を流出させることによって『ものづくり』の冠は数十年の年月をかけて徐々に日米の手から離れて行った。

これは良いか悪いかではなく、もう歴然たる事実。ひっくり返しようもない。

若干余談だが、

以前ある台湾メーカーのスマホの内部を見たことがある。
そこには手当り次第にとある部品が付いていて笑ってしまった。

基板上である目的のために使うとある高価な部品があるのだが、それが『必要か』『不要か』を見極めるのは実際なかなか難しく判断するには知識も経験もいる。
しかし高い部品だからエンジニアは結構真面目に検証して付けるか付けないか決める。
そんな部品がある。

しかしそのとあるメーカーは本当に手当り次第に付けていた。
ちょうどその部品を作っている会社の営業のひとと合った時にその話をしたら
「いやぁ、大量に使ってもらって助かっています。まぁそれなりにディスカウントしてますけど」

そう。彼らは技術ではなくビジネスのディールによってこの問題を解決しているのだ。

後追いのメーカーが先行しているものたちに勝つには『とにかくスピード』
彼らは常に攻めの姿勢で、多くの部品購入をコミットし、ディスカウントを迫り、技術的課題は臭いものに蓋をして『実現』と『期限』を何よりも重視し信頼と市場での支持を勝ち取ってきたのだ。

これはビジネスとしては至極正しい。

しかしエンジニアのレベルは正直まだまだだということを露呈している。

とはいえ、

こんなものは『負け犬の遠吠え』とのそしりを受けても反論に難い。

だって我々が生きているのは資本主義社会であって、学会でも技術コンテストでもないのだから。

さて、ちょっと視点を変えて、

今をときめく『伸びてる企業』(中国、台湾を除く)の中に一体どれだけハードウェアをやっている会社があるだろうか?

と考えるとちょっと寒気がする。
これも現代社会における極めて明確な傾向だ。

しかし、以前、サンフランシスコでとあるハードウェアベンチャーの社長と飲んだ時に彼が言っていた。

「AmazonはIT企業だというけど、Amazonのビジネスモデルの根幹を支えてるのは、倉庫で在庫管理と注文品のピッキングとパッキングをこなすロボットたち、そしてその制御技術だということを忘れてはいけない」とね。

ちなみに彼はロボティクスのエンジニアだ。

ハード無しではソフトは動かない

これも、また事実だ。

数々のソフトウェアサービスはあくまでハードの下地のうえに成り立っていて、それを支えるニーズというのは明確に存在している。

しかし、その絶対数は放っておいたらどんどん時間の経過に従って消えていく。

強力で貪欲でビジネス上手なお隣さんたちが手ぐすね引いて待ってるからね。

展望まとめ

日本にいま存在するたくさんのハード屋たち、

これからそう遠くないうちに自らを省みなければならないタイミング来るのだろう、
そして未来を見据えてどうその『普遍的な技術』を活かしていくか、その解答を見つけなければならない。

細々とできる範囲でできることをやるのも解答のひとつだ。
縮小する業界の中でもいくらかモノは売れるわけで、それができる限り続くよう努力するのも立派なスタンスだ。

個人でレベルではそれで構わない。
しかしそれではたくさんのひとが食っていくのは困難だ。

新たな産業、ひいてはニーズの発見、創出が必要となる。

『世の中のニーズ』その正解はきっといっぱい地面に埋まっている。
しかし掘らずにダウジングでそれを見つけるのは結構難しい。
そして、それを手当り次第に掘り返すだけの掘削費用を払える体力は、、、気付けばどのメーカーにもなくなってしまった。
# ソフトウェアはその点、掘削費用が安い安い。羨ましく見えてしまうのは仕方のないことだ

非常に厳しい状況のなか、

果たして救世主は現れるのか?

現れなかったら、、、誰がハード作るんだろうね。
きっとつまんない世界になってしまうに違いない。

ここが踏ん張りどころなんだ。

さて、

そしてこれから増え続けるであろうソフト屋たち、

世の中は暖かく迎えてくれるだろう。しかしそれは最初だけだ。
ライバルは多い。
一日のうち起きている時はずっとプログラミングするような生活を続けて、それでようやく頭ひとつ抜き出ることができるかどうか、という世界。

油断大敵、あっという間に十把一絡げでポイッ、だ。

しかし、覚悟と努力を持ってこれにあたるひとに、きっと未来は明るいだろう。
時代の主役というやつだ。

それは間違いない。

 

以上、偏った結論を期待してここまで読んでくれたひとには申し訳ないが、この問題はそんなに簡単なものではない。

ただ、いくつかの『キー』は散りばめられたのではないかと自負する。

パラダイムシフトをどう乗りこなすかということは、まずはその『状況の見極め』にかかっている。

この状況をどう見る?時代はどちらに向かう?その際の犠牲と落とし物は?

人間はいろんなものを見てきた。

時代が落とした失われてしまった大事な落とし物も。

『乗る』ことがそのまま正解ではなく、『乗りこなすこと』

その意味と価値はいつでもそう簡単に見定めることはできない。

九頭龍 'kuz' 雄一郎 エンジニア/経営者, 日本の大企業からシリコンバレーのスタートタップまで多種多様な千尋の谷に落ちた経験を持つ。 株式会社ClayTech Founder/CEO, 監査役DX株式会社 Co-founder/CTO, 株式会社スイッチサイエンス取締役, 株式会社2nd-Community取締役, 東北大学客員教授, 東京工業大学非常勤講師, 武蔵野美術大学非常勤講師, 他複数社の顧問など。

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